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ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲は「崩壊」か [ベートーヴェン:弦楽四重奏曲]

 福島章(著)『ベートーヴェンの精神分析』(河出書房新社)を読んだ。全部で250ページほどの本だが、入手して一気に読んでしまった。じっくり読んで研究しようと思っていたのに、内容の興味深さに唸り、あっという間に読み終わってしまった。

 著者は病跡学者であり、医学博士である。精神分析の見地からベートーヴェンの伝説的エピソード、残された手紙や友人たちの証言、その創作の結実たる名曲の数々、そしてあの「不滅の恋人」の謎について新たな光をあてている。

 たとえば、ベートーヴェンは史上初めて音楽に音楽外的要因を持ち込んだ人物であること、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は幼児期における父親の虐待のフラッシュバックから開放されるための無意識の戦いの産物であること、ベートーヴェンには深い関係を持った二人の女性がおり、いずれも人妻、そしてそれぞれの女性との間に子があったこと、交響曲第8番は父としての喜びを音にした私小説的な作品であることを明らかにしている。

 細かい分析や議論などについてはぜひ本をお読みいただければと思うが、私が目からうろこが落ちる思いだったのは、交響曲第8番のことである。

 私は交響曲第8番に対して違和感があった。これといった愛聴盤がなく、ワインガルトナー、メンゲルベルク、フルトヴェングラー、モントゥー、ワルター、クリップスクレンペラー、シェルヘン、クレツキ、コンヴィチュニーといった往年の演奏にも納得できず、ウィーン・フィルを振ったイッセルシュテットとクーベリック/クリーヴランド管弦楽団の二枚がやっと聴く気になる演奏だった。それでも、何か喰い足らなさを残していた。

 数年前にノリントンがシュトゥットガルト放送響を振った全集録音が登場した。この内の一枚が、8番の音の効果を目一杯炸裂させており、とても愉しかったものの、感動とは別次元の演奏だった。

 もっと愛らしく伸びやかに、リズムだけにこだわるのではなく、音楽の持つ幸せな雰囲気を存分に堪能させてくれる演奏を探したものだった。他の交響曲とは違い、交響曲第8番は極めて即興的な書き方をされているのも特異であるという。

 本に書かれている分析が正しいとすれば、この第8交響曲は41歳にして初めて父となる喜び、妻と生まれ来る命への深い愛情と感謝を歌った音楽である。私が上述のような印象を持っていたのも、このような解釈をなした演奏がいままで存在しなかったためなのかもしれない、と深読みしてしまったくらい。

 それにしても、精神分析の観点からベートーヴェンの作曲史を捉えなおすと、ベートーヴェンは第5交響曲を作曲した後、自らのアイデンティティーを確立し、自由で斬新な作風へと展開していったという。

 傑作の森にしても、その後の第9、「ミサ・ソレムニス」、晩年の弦楽四重奏曲群にしても、ベートーヴェンの創作意欲のエネルギーとなったのは<応える愛>であったと分析できる。たとえ、甥カールとの確執があったとしても、彼には、少なくとも彼の心には<応える愛>があったのだ。 

 ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏は「崩壊」「衰え」であると批判的に論じる音楽家もいるが、このような見方からすれば、むしろこれらの作品は愛そのものだったと考えられ、溜飲を下げる思いだった。

 この本にはベートーヴェンの娘とされる「ミノナ」の写真が掲載されているが、眉、目の輝き、口元、がっしりとした体格は、私たちがベートーヴェンの肖像に見る姿を想い起こさせるものがあり、胸が熱くなった。

 ミノナは幼少時に母を亡くすが、父と同じく音楽的才能に優れ、作曲やピアノ教師で生計を立て、独身のまま86年の生涯を閉じた。


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コメント 4

うぐいす

kitakenさん、こんばんは。
ベートーヴェンの娘の話、初めて聞きました。ネットで検索してみると、知る人ぞ知るという話のようですね。ホントかどうかはわかりませんが。

まあそれはともかく、交響曲第8番は嫌いではないのですが、うぐいすもいまひとつピンときてなかったですね。ベートーヴェンにしてはどこか楽天的な感じがして、他の曲と同じように聴こうと思ってものめり込めないものがあったのですよ。4楽章のコーダなんてしつこくて冗談みたいな終わり方ですしね(笑)。実は愛情と共に、遊び心がふんだんに詰まっている音楽だったんでしょうかねえ。
ちょっと今までと聴き方を変えてみようかなあと思ってしまいました。
by うぐいす (2008-02-05 22:56) 

KITAKEN

うぐいす様

こんばんは。コメントをありがとうございます。

ベートーヴェンの娘の話はヨーロッパでは年々一般的な議論になっているようで、あちらの音楽書には一説としてページを割いているそうです(たとえば、バリー・クーパー氏編集の『ベートーヴェン大事典』など)。

日本では青木やよい氏、福島章氏のような研究者もおりますが、まだまだ一般的な話題にはなっていないようです。

Dominique Prevot氏のページでは若き日のミノナ、晩年のミノナの肖像が掲載されています。

http://www.lvbeethoven.com/Famille/FamilyTree-Minona.html

真偽のほどは定かではありませんが、一生孤独だったという説よりも、ベートーヴェンには愛の対象がいた・・・たとえ、世のしきたりが冷たく引き裂いたものだとしても、そのような存在があったとしたら、心の温まる話だなと思いました。

ミノナは母からベートーヴェンが宛てた恋の手紙13通を託されていたそうです。

8番は子供の誕生に嬉しくてハイテンションになったベートーヴェンの音楽なのかと思うと、ちょっと聴き方が変わりそうです。
by KITAKEN (2008-02-07 16:27) 

羊飼い

最近、またベートーヴェンを聞くなり、弦楽四重奏やピアノソナタを
聞き返しています。 今の状況がそれを必要としているのでしょう。

晩年の弦楽四重奏は「崩壊」「衰え」であるという意見もあるのですか、
聞いていて、そのような印象はないですね。 

図書館あったので、借りて読んでみました。

精神医学者として、分類というか、人間のパターンから推測して、
いろいろな説があるが、ベートーヴェンは実はどういう行動を
とったか、どのような人かを探り出して行くという、推理小説の
ような面もあり、面白い本でした。

従来の作られたイメージとは違う面があることは、音楽から
直接感じていましたが、より理解できて親近感が持てました。

一人の音楽家を理解したり、音楽を聞く参考にするということの他に、
創造性を発揮するには、なにが必要かということも書かれており、
付章も含めて興味のある内容で、良かったです。

教えていただき、ありがとうございました。


by 羊飼い (2008-03-30 09:40) 

KITAKEN

羊飼い様

こんにちは、コメントをありがとうございます。

仰る通り、精神医学の観点から、人間をパターン化することによって、人間ベートーヴェンの姿を明らかにする試みであり、私も面白くて一気に読んでしまいました。

彼のした行為や発言内容から、楽聖ベートーヴェンを批判的に論じる本も多い中で、むしろ精神医学の観点から明るみにされた姿が私たちが敬愛する楽聖の作曲像に近いことは興味深かったです。

晩年の作品の根底にあるテーマが「愛」だったことを知り、改めて感動している毎日です。
by KITAKEN (2008-03-30 16:18) 

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