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オルフォード四重奏団のベートーヴェン全集を聴く(18-1 & 127) [弦楽四重奏団]

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 「オルフォード四重奏団のベートーヴェンを聴く」、今回はその一枚目、作品18の1と127を収めたアルバムに耳を傾けてみよう。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏のうち、もっとも人気が高いのは中期、それもラズモフスキー三部作であり、それに次ぐのが後期の作品132ではあるまいか。作品18はどうも・・・という人も多いようだ。

 しかし、この清々しく、瑞々しい旋律に彩られた初期四重奏曲集を除いては、ベートーヴェンの四重奏を語ることはできまい。これに比べれば、中期は芝居じみて、後期は神妙にすぎるかもしれない。

 初期四重奏曲集の中に佇む楽聖の姿は朗らかで、聴く者の肩を抱くようにして励ましてくれるような優しさに満ちている。

 18-1。オルフォード四重奏団はヴァイオリンの清らかな音色、切れ味の良いアンサンブル、穏やかで奥ゆかしささえ感じさせる深みのあるヴィオラ、チェロの魅力が絶大である。低音で濁ることもなく、四奏者のそれぞれの音色が分離して聞こえ、明晰である。一楽章のあの不思議なユーモアに満ちたテーマからして、何といい曲だろうと思わせてくれる。録音状態はやや高音がきつめなのが残念だ。

 聴いているうちに不思議と襟を正し、真剣に耳を傾けてしまうような真摯な演奏であり、二楽章に入るとさらに清らかで、静けさに満ちた世界が広がる。心の葛藤もけして美感をはみ出さない範囲での表現に留まっているところが素晴らしい。何と緊張感に満ちた訴えを持った音楽なのであろう!

 バリリQやズスケQも良いけれど、演奏者の顔が見えてしまう。これだけ音楽だけを感じさせる演奏というのも少ない。癖を感じさせないのが滅法素晴らしいのだ。心静かに、この清らかな調べに身を任せてみよう。このような浄福はなかなか味わえるものではない。

 三楽章も馬鹿みたいに速いテンポをとることなく、落ち着きのあるゆったりとした心地よさがある。こんなに良い音楽だったかと思わせてくれる演奏だ。ブダペストQのステレオ新盤も、4人の賢者がスコアを徹底的に研究し、頭を寄せ合って演奏しているような人間味に満ちた温かさがある魅力的な演奏だったが、オルフォード四重奏団のは音楽だけしか感じさせないような純粋さがあり、これも素晴らしい。

 終楽章は私の好きな音楽だ。ベートーヴェンの明るい魅力がぎっしりと詰まっている。小気味良いリズムと知的な閃き、旋律の美しさ、発展・生成していく音楽の大きさ!何か霊感に満ちた不思議な魔力がある。オルフォード四重奏団の演奏がこれまた素晴らしい。神々しささえ感じる瞬間がある!

 作品127。一楽章冒頭はいたずらに素っ気なく奏する解釈もあるが(スメタナQのデジタル録音や、古いところではクリングラーQ)、オルフォードQはゆったりと、そして豊饒な響きを活かす。

 メロスQ(DG)は叩きつけるような迫力と4本の線がぴったりと揃い、うねるように躍動する爽快さがあってかっこいいが、オルフォード四重奏団はそういうオーケストラ的な演奏路線には興味がないようだ。

 構造的で、がっしりとしたアンサンブルにも欠けていない。ゆるやかな旋律線の奏し方、リズムは強靭に、アンサンブル全体は緊張感と均整のとれた調和を目指し、優美さと逞しさという、この音楽の持つ魅力を余すことなく表現している。音が汚くなることがないのも偉とすべきだ。

 クリングラーQの神聖な雰囲気とは別だが、オルフォードQにもどこか畏怖を感じさせるような清廉さがあって好ましい。

 二楽章の高潔な美しさを何にたとえよう。オルフォードQにここまでの実力があるとは思わなかった。このような透徹した響きを持った演奏は、古典四重奏団に通じるものがあるといえよう。大聖堂のステンドグラスが燦燦と降り注ぐような神の恩寵の光を感じさせる旋律の奏し方ひとつをとっても、この世ならぬ幻想に満ちた演奏を展開している。

 個人的な告白をすれば、作品127の魅力に開眼したのは、クリングラーQの演奏に出会ったからだ。

 神々しいまでの美しさに満ちた伝説的な演奏だった。クリングラー四重奏団に比べれば、どのカルテットも(私に言わせれば)不純物が混じっていた。オルフォードQも、神品になるほどの宗教性を帯びた演奏ではないけれど、現代においてこれだけの演奏を成し遂げた功績はもっと讃えられてしかるべきであろう。心洗われるような清らかな美しさがある。

 しかしながら、今ひとつテンポを速め設定し、流麗さを出してもよかっただろう。申し分ないほどに心をこめ、心地良いほどの天国的なテンポ設定ではあるが、速度を低回させなければさらにこの高潔な演奏の魅力が倍化したように思われるのだ。終結はしつこさを感じさせる。

 三楽章は冒頭のピッチカートから良いテンポで進む。この楽章、テンポを速め、忙しなく慌てまくる演奏が多いが、音楽はそのようなテンポを望んではいない。しかるべき間合い、旋律の呼吸を意識していれば、そのような劇的な音楽ではないことは明白となろう。

 よく伸びるヴァイオリンの高音の美しさが印象的であり、雄弁な内容をもったスケルツァンド・ヴィヴァーチェが清流のような美しさをもって屹立する。何の不安もないアンサンブルの素晴らしさとともに、現代の四重奏団を聴く魅力を堪能できよう。

 終楽章はなかなか気に入った演奏というのが存在しない。難しい楽章だと思っている。私は新しいCDを買い求めるとき、この楽章と作品131の終楽章を試聴することにしている。それを聴けば、全てわかる、と言いたいくらいなのだが・・・(乱暴か)。

 強いて言えば、スメタナQの旧盤が一番好きだ。オルフォード四重奏団の演奏もいささか物足りなさを覚える。この楽章の主題の奏し方はもっとユーモラスな、ひなびた魅力をもたせなければならないはずであり、冒頭も威圧的にやりすぎると失敗する。オルフォードQは他の四重奏団がやる通り、そのような慣例に従っている。現実的にすぎ、この楽章が持つ後期特有の幻想的な風情がない。

 逞しさと清潔さだけではこの楽章の魅力は生きない。ただ、巧みなテンポ設定とアンサンブル技術の優秀さによって、音楽のフレッシュさが生き、独特の魅力を持っていることも事実だろう。

 なかなかに感心させられることの多い一枚だった。次回は、18-2と130を収録した一枚を聴くことになる。 


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